近年になって「牛乳は危険」だという情報が増えている
以前、「牛乳は危険」という趣旨の記事を書きました。以下のリンクの記事がそれに当たります。
「健康に良い」と言われ続けてきた牛乳が、最近になって、なぜ「危険」と言われ出したのか、その要点を簡単に説明すると、
・狭い牛舎に閉じ込められた飼育環境、ストレスからの病気を避けるために薬剤を投与すること
・大量生産するために、エサ代のコスト削減をはかり、遺伝子組み換えされた輸入穀物に頼ること
・牛乳にはカルシウムが含まれるが、同時にリンも含まれるためカルシウムを摂取できていない。
などがあげられ、以前書いた記事で紹介しました。他にも日本人には牛乳を分解する酵素がない人が多いこと、元々牛乳は子牛が成長するために用意されたものであり他の生物には適さないことなどがあげられます。
さて、上記の通り牛乳のネガティブ要素がかなり情報化されるようになってきましたが、なぜそれ以前に牛乳は健康に良いという「牛乳神話」が発生したのか?今回はそのことについて「牛乳と母子手帳の関係」から触れてみたいと思います。
母子手帳と牛乳の関係について
母子手帳が我が国 日本で作られているものではないということをご存知な方は少なく、そんな母子手帳が恐らく日本でしか使用されていないようです。正式名は「母子健康手帳」といいます。
母子手帳の使用目的として主張しているのは、妊娠中の経過や出産の状態、産後の子供の健康診断の結果や予防接種の履歴などで、特に予防接種の履歴は記載しないと忘れてしまうので持っている方が安心ですと、予防接種の記録は非常に重要なものだとして母子手帳の重要性を主張しているのです。
日本が戦争に負けた後、日本がアメリカよりもいかに優れた民族であったかという事実をマッカーサーやルーズベルトが知り、日本の文化が今後も繋がって行くことは、優秀な日本人が絶えないということをアメリカ人は危惧したと、いうのです。
そこで日本国民の民度や知能低下を目論み、日本人を劣化させよう計画が始まります。これがGHQの計画です。戦後70年かけて日本人の生活に根付くようにメディアを使いシステム化させられてきました。その中の一つに母子手帳も含まれます。
GHQが日本に根付かせた習慣
1、牛乳を日本で普及させ、牛乳を飲まないとカルシウム不足になると宣伝
2、母子手帳配布と予防接種の義務化
3、東洋医学療法を薬や手術(切る、焼く)を主とした西洋医学に切り替えた
4、小麦粉の普及。パンに力を入れて西洋食に仕向ける
5、日教組による偏向教育を公立の義務教育に変えた(日本人の思考を変える)母子手帳とはアメリカの全国酪農協議会が発足し政府乳業が癒着し1930年に牛乳を広める為に乳業会社が作り広める為につくられたものです。しかしアメリカでは、この母子手帳は受け入れられずPR作戦が失敗に終わります。そして、もう既に20年も前に 完全に母子手帳は廃止されているのです。
アメリカ発祥の母子手帳ですが、アメリカでは失敗に終わりましたので母子手帳は使われておりません。アメリカの保健所では、牛乳は人体に良い影響はなく寧ろ有害であり、牛乳は産婦と赤ちゃんには飲ませてはいけないものだと決められていたからです。これ、日本は知らない人が多いのではないでしょうか。
参照元:猫丸ねずみの大荒れトーク
母子手帳はアメリカの乳業会社が作ったのが、発端のようです。えっ?牛乳屋さんが?つまり牛乳を売りたいために母子手帳が作られたのです。そもそも日本人は戦前まで牛乳を飲む習慣がなかったそうです。
戦後アメリカによって持ち込まれたもので、そのとき一緒に持ち込まれたものが母子手帳なんだそうです。母子手帳とは1915年にアメリカで発足した全国酪農協議会が乳業のPR戦略で作ったものです。発祥国であるアメリカでも、既に20年前に廃止されています。
戦前、戦中にアメリカは日本文化のレベルの高さに驚いたそうです。日本は敗戦国になりましたが、食文化や精神文化が日本独自の高度なレベルのままだと、いずれまたアメリカは日本に苦しめられると悟り、日本の食文化や精神文化の劣化を意図的に図ったのです。
昭和20~27年の占領期間中、保健所に勤めることのできた栄養士の条件は、乳業の専従栄養士であることでした。昭和23年には「母子手帳」を乳業メーカーに作らせ、「牛乳(粉ミルク)を飲ませるように」と明記し、カバーには森永乳業、雪印乳業、明治乳業などのコマーシャルが載っていたのです。いかに行政と乳業界が癒着し、利益や日本人劣化のための普及に努めていたのかがよくわかります。
牛乳を飲むとお腹がゴロゴロして、下痢になる方が少なくありませんが、それは、身体が受け付けていない証拠、拒絶反応で強制排除しているのです。牛乳を飲むと脱灰をおこしてカルシウムが奪われることや、牛乳がホルモン系のガンの一因になっていること、骨粗しょう症を悪くすることは世界の常識ですが、日本人はそんなこと考えたこともありません。
参照元: 強健ラボ
母子手帳とは正式名称を「母子健康手帳」といいます。読んで字のごとく幼い子を持つ母親とその子どもの健康についての手帳になります。さて、それでは「牛乳と母子手帳の関係」はどのようなものなのでしょうか?ポイントは2点あります。1点目は誰が作り誕生したのか?2点目はどのような目的で、母子手帳を日本で莫大に普及させたのか?に
なります。
牛乳と母子手帳:母子手帳は誰が作り誕生したのか?
母子手帳が初めに作られたのは日本ではありません。アメリカです。この時点で驚かれる人も多いでしょう。母子手帳は1915年にアメリカで発足した「全国酪農協議会が」が1930年に作ったものです。母子手帳をなぜ作ったのか?理由は単純です。牛乳、乳業を広めるためのPR活動のためです。母子の健康を願ってのものではありません。アメリカ政府との癒着がありました。
そして、戦後、1947年に母子手帳は日本に導入されました。当然、日本でも乳業が絡んできます。子どもに「牛乳、粉ミルクを飲ませるように」と明記し、当時の母子手帳には森永乳業、雪印乳業、明治乳業などのコマーシャルが載っていたそうです。
ところが、大元であるアメリカでは母子手帳は大衆に受け入れられませんでした。すでに今から20年も前に廃止になっているそうです。どうして乳業のPRのために作った母子手帳が受け入れられなかったのか?というと、アメリカでは保健所が「牛乳は健康に悪く、危険である」と定めていたためです。アメリカでは母子手帳の普及は失敗に終わりました。
では、日本ではどうでしょうか?勿論、日本では廃止になっていません。上記のような母子手帳の経緯を知っている人は少ないのではないでしょうか?母子手帳とは「母子の健康を願って」のものではなく、「アメリカおよび日本の牛乳、乳業の普及を願って」のPR活動の一環であると知っている人は少ないのではないでしょうか?そして、その牛乳はアメリカの保健所では「危険なもの、健康を害するもの」として認知されているとは知らないのではないでしょうか?
牛乳と母子手帳:どのような目的で母子手帳を莫大に普及させる必要があったのか?
母子手帳を普及させる目的は、先述しましたが、まず乳業において牛乳を売って儲けるためです。しかしながら、それだけではありません。母子手帳は戦後、日本にもたらされました。戦勝国であるアメリカは日本を支配するために日本を弱体化する必要がありました。
日本で母子手帳、牛乳を普及させる以前に、既にアメリカの保健所では「牛乳は健康を害する。牛乳は危険である。」と認知されていました。したがって日本人劣化をもくろんだGHQの戦略の一つとして、母子手帳、牛乳の普及が持ち上がったというのです。牛乳を飲まないとカルシウム不足になり、骨や歯が脆くなり健康になれないと流布しました。
誰もが信じて疑わない「牛乳=健康」という「牛乳神話」には、このような経緯、裏話があるのです。
まとめ:牛乳と母子手帳、もちこまれた危険要素は牛乳だけではない
母子手帳と牛乳の関係についてポイントは2点ありました。一つは、母子手帳は元々、アメリカで作られたものであり、作ったのは乳業関係でり、それは牛乳、乳業を広めるためのPRでり、「母子の健康を願ってのものではない」ということ。
もう一つは、戦後、戦勝国であるアメリカが日本の逆襲を恐れ、日本人を弱体化する必要があったので、「牛乳は危険」であることを前提に母子手帳を使って牛乳を普及させたこと。
以上になります。
近年になって、「牛乳は危険である」と日本でも言われるようになってきましたが、その要因の一つが、今回ご紹介した「牛乳と母子手帳」にあります。
また、同様のやり方で、小麦やワクチンも危険因子として日本にもたらされています。母子手帳は「牛乳、粉ミルク」を推奨していましたが、同じように「ワクチン接種」も推奨しています。このワクチン接種も戦後日本の弱体化計画の一つでは?と考えられており、近年はワクチンの危険も叫ばれるようになりました。
牛乳とセットになっているのがパンです。パンと言えば小麦です。大量生産するようになった輸入小麦を牛乳とセットでPRし、儲けようという動きがあったようです。輸入小麦もワクチン同様、戦後日本の弱体化計画の一つであると考えられています。
現代日本社会は、飽食状態であり飢えることのない「余裕」があります。しかしながら、同時に様々な健康被害も莫大に増えました。「余裕」があるからこそ、食の危険性を考えることができる時代でもあるのです。あなたはそれでも危険なものを食べますか?
2018年5月6日、追記
現在は市区町村にて交付されている母子手帳ですが、その歴史は太平洋戦争までさかのぼります。
日本では太平洋戦争直前の1937年に後の母子手帳のもととなる母子保健法が施行されました。これは戦時体制下で人口増加を目的として施行されたものです。そして母子健康法が制定された結果として、出産から保育に至るまでの環境が著しく急速に整備されるようになったのです。
その後、1942年には国が主体となって妊産婦手帳制度を発足させました。これはドイツの病院で取り入れられていた母子手帳による妊産婦登録制度に感銘を受けた厚生省の瀬木三郎が日本用に改善を加えて導入したものです。この妊産婦手帳は妊婦の心得や妊婦と新生児の健康チェックについて、また分娩記録なども記入できるようになっていて、妊婦が知識を持つことを目的としていました。
また妊産婦手帳を普及させるために様々な工夫がなされ、妊産婦手帳を持っていれば食糧不足の戦時下でも米など物資の優先配給が保証されたり、定期的な医師の診察を受けたりすることができるようになりました。さらに妊産婦手帳には出産申告書がついていて、これを提出することによってミルクを手に入れることができる仕組みになっていました。
その後1947年に妊産婦手帳はなくなりましたが、「児童福祉法」が制定されて、翌年に「母子手帳」が登場することになりました。母子手帳には赤ちゃんが生まれてからの健診データや予防接種の記録が付け加えられました。また、母子手帳ができたことにより入院分娩が普及するようになりました。
参照元:甲斐由美子氏のFacebook
現在の母子手帳は1947年に導入されたものであり、その経緯は先に書いた通りです。それでは1947年以前はどうだったのでしょうか?
日本では1937年に母子手帳のもととなる母子保険法が施行され、出産から育児までの環境整備が進みました。
更には1942年、妊産婦手帳制度を発足。これはドイツの病院で取り入れられていた母子手帳による妊産婦登録制度をもとに厚生省の瀬木三郎が日本用に改善を加えて導入したものです。
妊産婦手帳を持っていれば食糧不足の戦時下でも米など物資の優先配給が保証されたり、定期的な医師の診察を受けたりすることができるようになり、これを提出することによってミルクを手に入れることができる仕組みになっていたそうです。
1947年以前の1942年に導入された「妊産婦手帳」の時代からすでに牛乳、牛乳協会との関係があったようです。
世界の母子健康手帳の利用状況(2015年1月時点)
日本、韓国、タイ、インドネシア、ブータン、東ティモール、オランダ、フランス、ユタ州(米国)、ニジェール、チュニジア、コートジボワール、セネガル、ブルキナファソ、ベナン、ケニア、ドミニカ共和国、など
参照元:HANDS(ハンズ)
NGO法人「HANDS(ハンズ」という団体が母子手帳を世界に進めているそうです。現在では30か国以上の国や地域で使われているとのこと。
今後も増えると予想されますが、現時点では妊娠、妊婦の段階から母子をコントロールしようとする動きは世界的に見て少数であり珍しい制度だと思いました。
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