【ONODA】「小野田寛郎」を主人公にした映画、ONODA公開 小野田さん、本当はこんな人だったんだよ
SNSでの反応をまとめました
こういうことに向き合えず、美化する声が少なくないのが辛い。 https://t.co/UuaGhyo7yI
— Ryoko (@R_623723) July 10, 2021
で家族を殺され家財も奪われ続けてきた現地の人たちは小野田寛郎を殺人者として告発したがったが「不屈の大日本帝国軍人像」を利用したい自民党政権と貸し作ってカネ引き出したいマルコス政権によって黙らされたわけです。
— SIVA (@sivaprod) July 10, 2021
小野田寛郎氏の大量殺人は戦時中でもなく戦闘中でもありません。また小野田氏はラジオを所有してて敗戦も戦後体制も把握してたのですよ。
— SIVA (@sivaprod) July 10, 2021
小野田寛郎の「自伝」のゴーストライターをやった津田信という人が書いた暴露本『幻想の英雄』という本がめちゃくちゃ面白い(そして小野田は鬼畜)のでみんな是非読むのだ
小野田という男が人間としては糞オブ糞という異常者だということがよくわかる https://t.co/UWm9LX2PQR— Simon_Sin (@Simon_Sin) July 10, 2021
いま読んでいる小野田寛郎の手記を代筆した人の本の中に「バギオ」というフィリピンの都市名が出てきた。子どもの頃、兄貴がサッカーの用具を買いに「バギオスポーツ」という所に良く行ってたなぁと思い出して調べたら、横浜西口の岡田屋の中にあった店みたい。フィリピンとの関係は?だけど。
— junki_hk (@junki_hk) July 10, 2021
で当時子どもだったわたしはきっちり「横井庄一はなんかダサいけど小野田寛郎はカッコいいよなー!」ってなってたわけですよ。
— SIVA (@sivaprod) July 10, 2021
従軍慰安婦といい徴用工といい小野田寛郎といい、日本政府が公式に戦争犯罪を認めず誤魔化すのにいかに腐心したかよく分かる。民主主義国家に生まれ変わりましたと謳いながら裏でそんなことしてたのマジで下衆いし、その“努力”の甲斐あって戦後たった76年で歴史修正主義が定着しつつあるの最低だわ
— miko (@goh__ur_rah_) July 10, 2021
小野田寛郎の語る現地人殺し、強烈な記述だったので誰かクリップしてるだろう思ったらございました(格郎というのは寛郎の実兄)。ちなみに食料強奪ばかりじゃなく現地の人々の農作物の備蓄に放火もして回ってたんですよ。”敵”に対する破壊工作だとして。 pic.twitter.com/4yPf1EPV1q
— SIVA (@sivaprod) July 10, 2021
過去は捨てることはできない。現在は止めることができない。しかし、未来は決めることができる。【小野田寛郎】
— 名言・感動bot (@good_kotoba) July 10, 2021
小野田さん………これが戦争… https://t.co/YbRN3DDxOT
— エーテル🧪 (@RoosterZELDA2) July 10, 2021
30年もどうやって潜んでいたんだろうすごいなって思ってたけど、略奪と殺人をしていたのね。
ショックすぎる…
いつも英雄って感じで取り上げられてたから…
ちゃんと事実を見つめないと歴史って簡単に変わってしまうね… https://t.co/slX7kOVedo— うみ (@umisui) July 10, 2021
「逃げ回っていただけ」と言われた横井庄一さんの方が小野田寛郎より人間として遥かにまともだった
— 土田偶氏 (@dogu_fm) July 10, 2021
もういまさら小野田寛郎の神格化はなしだろ。
— ポンピィ (@pom_pom_pee) July 10, 2021
小野田寛郎といえば水戸光子。当時知らない存在だったが存命中でコメントも出していた。同じように外国人による映画化には身構えてしまう題材だとしても、水俣病をめぐる複雑さと比べると普遍化しやすいとは思うけれど。
— dominique (@dominiq10501150) July 10, 2021
上記の引用は津田信『小野田少佐との三ヵ月「幻想の英雄」』からです。無料公開されてる時に読みましたが当時英雄視された「最後の大日本帝国軍人」の素顔とその周りにうごめく妖しい人々。すごい面白かったです。https://t.co/ATaEyWLhIv
— SIVA (@sivaprod) July 10, 2021
フランスは佐川一政とか小野田寛郎とか東洋の魔女とか困ったもんの映画を作ってくれるよね。
— bugs grooove (@BugsGroove) July 10, 2021
食料"徴発"に出かけフィリピン人(村長だったと思う)に見つかったので拘束して射殺したというのを得々と語る小野田寛郎にライターがドン引きしてて。「まず膝を撃ち抜いて動けなくしてからゆっくり殺してやった」とか喋るんだけどフィリピン人を人じゃなく豚扱いで喋るんですよ、小野田寛郎。
— SIVA (@sivaprod) July 10, 2021
そんで帰国後も戦後民主主義で日本はダメになったみたいなことバンバンしゃべり散らすもんだから日本会議な人たちにすっかり取り込まれて愛国ビジネスに勤しんでました。愛国塾愛国セミナーみたいなんの講師やゲストで一時名前よう見かけたもんです。小野田寛郎。
— SIVA (@sivaprod) July 10, 2021
そうです。小野田寛郎様でございます。
— 頂く 妙音 (@ymkHgFES2H8a7iG) July 10, 2021
その前にグアムで見つかった兵卒出身の横井庄一氏が髭も髪もボーボーの敗者そのものの姿での発見で「それに比べて小野田氏の毅然とした姿はさすが大日本帝国軍人」 って称賛されてあちこちで小野田寛郎展とか開催されて完全に英雄だったのです。
— SIVA (@sivaprod) July 10, 2021
小野田寛郎とか横井庄一とか、戦争が終わってなかった人たち
— 華猫🐾 (@FaoMao) July 10, 2021
小野田寛郎氏に限らず大日本帝国軍人の多くに共通する価値観なんだろう。
今の日本で大日本帝国にシンパシー感じてる右派の言動を見てると容易に想像できる。 https://t.co/YVSDoGpXBG
— 所 十三 (@tokoro13) July 10, 2021
小野田寛郎少尉が日本に帰国した時のこと覚えてます。彼だけ時間が止まっているようでした。戦争を知らない世代ですが小野田さんの帰国は私に戦争の恐ろしさを同時代で伝えた貴重な経験でした。テレビで見た彼は話し方から風貌から何から何まで時代錯誤で怖かったです。戦争の恐ろしさを肌で感じました
— nd (@raytraveller) July 10, 2021
もはやあえて言わなければわからなくなっているのでいってしまうが、『漂流教室』のベースにある当時の共通認識は戦争にとられた息子とその母の話であり、だから学校の名前が「大和小学校」=日本であり、唯一帰還したユウちゃん(小野田勇一)は小野田寛郎からとられているのである。
— みうまる (@gwashi984) July 10, 2021
帰国した小野田寛郎と過ごした人が彼の人となりと言動を記録した文章が以前無料公開されてたが無抵抗の現地人を殺したことにカケラも罪の意識ないどころか虫けら殺したみたいな事言ってて凄まじかった。https://t.co/ATaEyWLhIv
— SIVA (@sivaprod) July 10, 2021