肥後克広、寺門ジモンはショックでコメントできず 「常に3人が一緒にいました」・・・情報がtwitterで拡散される

肥後克広、寺門ジモンはショックでコメントできず 「常に3人が一緒にいました」

上島竜兵さんの突然の悲報に、1985年からダチョウ倶楽部で苦楽を共にしてきた肥後克広(59)、寺門ジモン(59)はコメントも出せないほどの大きなショックを受けている。リアクション芸の第一人者として伝統芸能の域にまで極めた上島さんは、「生まれながらの子分肌」という親しみやすい人柄でも多くの芸人仲間から愛された。

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ダチョウ倶楽部のリーダーの肥後と寺門はこの日はコメントを発表しなかった。2人の様子について、事務所は公表しなかったが、ショックの大きさをうかがわせた。

 ダチョウ倶楽部は85年に電撃ネットワークの南部虎弾(70)と4人で結成。方向性の違いで南部が脱退してから、3人で活動してきた。民放関係者によると、芸能界でも仲の良いことで知られ、楽屋を別々に希望するタレントが多い中、ダチョウ倶楽部は3人一部屋であることがほとんど。楽屋がない番組でも「常に3人が一緒にいました」と明かす。

結末が読めていながら笑ってしまうお約束の面白さが3人の真骨頂だが、メンバーからにじみ出る優しさや誰も傷つけないトークも魅力だった。同関係者は「3人とも、とても謙虚でいい方。2人の気持ちを考えると胸がつぶれそう」と胸中を察していた。

 南部はこの日、YouTubeで上島さんを追悼。「あまりのことに驚きも何も、あ然としてしまいました。自分が70歳で、上島竜兵が61歳。何で死ななきゃいけないんだ…。優しくて優しくて、いつも気ばっかし、使っている子でした」と振り返った。

・言葉もないですよね。
苦楽を共にしてきた、2人にしか分からない事がたくさんあると思う。

・以前に、ケツメイシの「友よ」というMVを見て、この3人は良い関係を続けて来たのだなと思ってました
歌詞・使っている過去の写真等が非常に良い作品です
今からは明るく見ることが出来ないのは、非常に残念ですね
それだけに、残った2人には相当のショックでは無いでしょうか
充電旅でも、「仕事が・・・」って何度も言ってましたから、悩みはあったのだと思います

・3人と袂を分かったという間柄の南部虎弾氏も、竜兵さんとの早すぎる別れに落涙されておられました。4人から3人になって以降、あまり売れない時代から1歩ずつを共に踏みしめてきた肥後氏、寺門氏、そして奥様の広川ひかる氏のお気持ちは察するに余りあります。

・よく有吉さんや出川さんが心配と書かれる人が多いですが、1番辛くて辛い思いをしているのは売れない時期、低迷している時期なども含めずっと一緒に今日まで解散せずダチョウ倶楽部で活動した肥後さんとジモンさんだとおもいますよ。

・肥後さん、ジモンさんのショックは計り知れないでしょう。
仲の良いバランスの取れたコンビだったと言う印象、竜ちゃんのくるリンパって言うギャグは好きでした。
何か最近自殺者が多いね、季節のせいでもあるのかな、春先は自殺者が増えるって言ね。
芸能界って不安定な業界だと思う、一時売れたと思ったら突然売れなくなる、また一時売れてどん底に落ちて再ブレイクする人もいる、有吉弘行もその一人。

・前日も収録の打ち合わせとかあったという記事があったが、一体どういうことなのかいまだに理解できない。
この年齢まで厳しい芸能界で生き抜いてきて、誰からも嫌われる事のない立場にまでなったのに、どうして、と思ってしまう。
若かったら、将来に絶望、とかあるけど、ここまで3人できて、もうむしろ引退直前だったはず。ゆっくり過ごして行けたのに。
自分で絶つ必要があったのか。

・これ神田沙也加さんのときの松田聖子さんに対しても見られたことだが、最も身近な人が亡くなってショックと悲しみに打ちひしがれ言葉も出せない中、それでも容赦なく競うようにコメントを求めようとするマスコミの姿勢がちょっと信じられない

参照:http://blog.livedoor.jp/gunbird/archives/10517433.html

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