田中聖を覚せい剤所持容疑で逮捕 ⇒ ファンが感じていた異変がこちら
田中容疑者は今年に入ってからもインスタグラムやツイッターなど自身のSNSを更新。2月11日に更新されたインスタグラムでは「関係者各位 アー写(アーティスト写真)これにしまーす」と投稿しマイクのコードを首に回し、ブルーなどに染めた髪と白い衣装姿で舌を出す写真をアップしていた。
音楽活動も精力的にこなし2月だけでも、この日に出演辞退した愛知でのライブ含めて7公演を回っていた。逮捕された24日には日付が変わった直後にインスタグラムを更新。自ら装飾、ペイントしたマイクの写真とともに「楽しくなってやり過ぎたよ 認める」と投稿していた。
コメント欄にはフォロワーから「えっ…聖??」「なぜ~」「残念」「これで2回目」「ニュース速報みました。弟の為にもしっかりしてください」「また中丸くんがシューイチでコメントしなきゃいけないの可哀想」
「応援してるのに、2度も裏切られた。なんでそんな事するんよ」「やっぱりな。ってなる!残念…」「また逮捕…何をやってるの?呆れたわ」「何でよ。何でこんなことになったの?悲しいよ」「最近おかしかったから逮捕報道出ましたね。タトゥー入れ過ぎでおかしかった」などの声が寄せられていた。
楽しくなってやり過ぎたのは認めるよ pic.twitter.com/YbWoMjdS9j
— KOKI TANAKA 田中聖【SANBAKA, BABA】 (@koki1105t) February 23, 2022
・こういう事案ってファンを悲しませるのもあるけど、タトゥーに対して偏見持つ人も増えるよね。
日本でもタトゥーに対して寛容になってきた部分もあるけど、体中タトゥーが入ってる人がこういう事件起こすとやっぱりかと正直思う。
・最近は多様性だとかでなんでもかんでも認めるのがいい、みたいな風潮がある。タトゥーも海外ではファッションのして扱われてるから、日本もそれを認めるのが多様性だとか言う人がいる。
でもそれは詭弁だと思う。
日本での入れ墨の発祥やそもそもの意味を考えるべきだし、反社やヤクザ、暴力団などが入れ墨しているのは変わらない現実。
・Totoo・刺青・入れ墨そのものの歴史は長く、一時期は罪人に入れることから今も反社会的行為の象徴のように受け取られる面もありますが、さらに歴史を遡っていくと海を生活の場にしていた人たちが海に出たまま帰ってこられず「無言の帰還」となった際に「この体の紋様はどこどこのだれそれ」と判断しやすくするためだったとの説も(どこかに)あり、後に罪人に墨を入れるようになったのも替え玉の死体で誤魔化しをさせないため…とすると今日的には墨を入れるのは「ロクな死に方をしない覚悟」の表れとも感じられます。
・タトゥーに関してはオシャレでいれている人とそうでない人では雰囲気でわかるかも。
ただ、昔からの怖い人らも厳然と存在するわけで、この世からモノホンの人らがいなくなったら新しい文化として受け入れてもいいと思うが、今はまだまだ。
・元KAT-TUNの名で出すのはもうやめてほしいなー。メンバーだったけど、もうちがうと思うから。今のKAT-TUNはすごく頑張っているので報道するときに「元KAT-TUN」と出しちゃったら、今の彼らがかわいそうです。
・人は見た目通り。
弟さんのためにも縁を切ってあげてほしい。
樹くんはお兄ちゃんが好きなのかもしれませんが、普通の家族は兄弟に迷惑かけることなんかしないんだよ。
特に自分だってそうだったし、弟もたくさんの人前に出る仕事なのに。
いろいろな大人やお金が動き、ファンもたくさんいて、たくさんの人に影響することを、普通はお兄ちゃんなら考えてくれるんだよ。
・残念ですね、ファッションや遊びの具現化した見た目、決して任侠や矜持ではない軽薄さが、ファンや家族や友人たちを悲しませる。
しかし、それが喜ばれる世の中である事も確か。
逮捕されなければ、叩かれないし批判も少なかっただろう、そんなもんですよね。
強気で自信心が強く見えても、実は後ろで操るものがいたのでしょう。
・タトゥーがどうとか、問題はそこでは無いですよね。こんな全身にでは無くとも入れてる人友人知人は周囲にいますが、日本に住んでいる人に関しては白い目で見られることは覚悟済のようです。当然ですね。逆に言うと、日本で暮らしあちこちタトゥー入れておいて“多様性だ”とか“外国では普通”とかそういう理論で『認めろ、温泉やプールに入る権利』を主張する人は個人的にはタトゥー以前に物事やご自身を客観視できていなくて一線を画したくなるような方であることが多いと感じてます。